2011年 6月12日更新

「河鍋暁斎記念館の見学記」



                 美術と歴史の会
               当番幹事 三好 彰

           


 521日(土)に埼玉県川口市にある河鍋暁斎記念館を見学した。会報に「フェノロサ、ビゲロウと三井寺法明院」を連載中の山口静一会員は河鍋暁斎の研究家でもあり、2007年の法明院参詣のように山口会員に案内いただけるのが見学のきっかけであった。

 参加者は会員の関直彦・尚子ご夫妻と棚橋征一氏、美術と歴史の会の幹事である酒井一郎氏と三好美智子・彰のほかに、三好の友人の福田久子さんであった。

 河鍋暁斎は幕末から明治中期にかけて活躍した絵師である。身につけた伝統的な大和絵の描き方に基づきながらも、その枠を越える大胆な筆力と奇抜な発想で多様なジャンルの絵をものにした。取り分け若い頃に狂斎名乗ったように戯画や風刺画を得意としたが、筆が滑って筆禍事件を起して投獄されてしまった。出獄後に暁斎と改名したが、この字をキョウサイと読ませた。

 河鍋暁斎記念館は御子孫が運営されている。河鍋家には暁斎の書き残した膨大な下絵があり、その本絵を見つけ出して展示するようになったそうである。ちょうど物語をテーマにした作品の企画展が行われていた。天岩戸の神話、仏教関係の説話、そして桃太郎などの民話が鮮やかな色彩で描かれていた。その中に山口会員が海外から買い戻された作品もあった、この日のための特別展示だと知った。

 来日した著名な外国人に暁斎の愛好家が多く、それらが現在では欧米各地の著名な美術館に所蔵されている。このことを現地調査された山口会員が詳しく解説してくださった。その著名人を各国から一人ずつ挙げるとベルツ(ドイツ)、ギメ(フランス)、キオソーネ(イタリア)、コンドル(イギリス)、それにラファージ(アメリカ)となるが、このほかにも枚挙に暇がない。建築家であるコンドルは暁斎に弟子入りして暁英という雅号で絵を描き残しているのだから、その心酔振りが伝わってくる。

 会員の方になじみのあるフェノロサとビゲロウが蒐集したものはボストン美術館に、そしてモースのコレクションはセーラムのピーボディ・エセックス博物館に収まっているそうである。

 見学の後、近くのレストランで遅い昼食をとった。山口会員は現地調査の秘話を披瀝された、また最近のご研究のことのほかに大戦中のお話やパソコンとの格闘振りなど尽きることにない楽しいお話を伺い時間が経つのを忘れるほどであった。

以上。

日本ボストン会 The Boston Association of Japan

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